ライヴエイド主催者のボブ・ゲドルフとは?イベント詳細や出演者についても

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映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスといえば伝説のチャリティイベントライヴエイド(LIVE AID)。

ライヴエイドは「1億人の飢餓を救う」というスローガンの下、アフリカ難民救済を目的として、1985年7月13日に行われた、20世紀最大のチャリティーコンサートです。

この記事では、ライブエイドの主催者ボブ・ゲドルフと出演者について解説しています。

目次

ライヴエイド主催者のボブ・ゲドルフとは?

ライヴエイドは、1985年7月13日にロンドンのウェンブリー・スタジアムにて開催された一大チャリティ・コンサートです。

このライブエイドを主催したボブ・ゲドルフとはどんな人物なのでしょうか?

ボブ・ゲドルフのプロフィール

出生名 Robert Frederick Zenon (or “Xenon”) Geldof
別名 ボブ・ゲドルフ
Bob Geldof
誕生日 1951年10月5日(69歳)
出生地  アイルランド ダブリン県ダン・レアリー
職業 ロックミュージシャン、活動家
活動期間 1975〜

ボブ・ゲドルフは、アイルランドとベルギーの血統を持つ家庭に生まれた。

ダブリン近郊のブラックロック・カレッジを卒業後、屠殺業や道路人夫、エンドウ豆缶製造業などに従事。

その後、カナダのバンクーバーで音楽ジャーナリストとして活動開始。

週刊誌「ジョージア・ストレート」の出版などに携わった。

ブームタウン・ラッツ結成

1975年にパンクバンド、ブームタウン・ラッツを結成。

ブームタウン・ラッツは、ボブ・ゲルドフを中心に、ギターのギャリー・ロバーツ、ジェリー・コット、ベースのピート・ブリケット、ドラムのサイモン・クロウ、キーボードのジョニー・フィンガーズという6人組。

1978年には、「ラット・トラップ」でアイルランド出身グループとしては初の全英1位を獲得。

しかし、パンクが自分の資質に合わないことが分かったのか、1979年3枚目のアルバム「哀愁のマンデイ(原題:The Fine Art of Surfacing)」ではポップなメロディー満載のニューウェイブへと方向転換。

本作に収録されたシングル「哀愁のマンデイ(原題:I Don’t Like Mondays)」は大ヒットし、一躍スターとなった。

同曲は、カリフォルニア州サンディエゴで1979年1月にブレンダ・アン・スペンサーが小学校で起こした殺人事件が題材になっており、物議を醸したことでも知られている。

同曲はまた1995年にボン・ジョヴィによってカバーされ、1995年6月25日にロンドンのウェンブリー・スタディアムで行われたボン・ジョヴィのコンサートで、ゲルドフはステージに参加している。

この曲は2005年のLIVE 8でも演奏され、アコースティックバージョンで歌われた。

しかし、「哀愁のマンデイ」以降、メンバー間の不和などもあって徐々にグループは失速していき、84年にゲルドフ「バンド・エイド」へと進み名声を得ていくのだが、売れなくなったブームタウン・ラッツは86年にひっそりと解散している。

慈善活動へ

ゲルドフの最初の慈善活動への参加は、1981年9月に行われたアムネスティ・インターナショナルによる「シークレット・ポリスマンズ・アザー・ボール」

ショー製作者であるマーティン・ルイスの招待でソロ・アーティストとして出演、「哀愁のマンディ」のソロ・バージョンを演奏した。

このショーへの出演によって、一人物によって集められたロック・ミュージシャンの集団が原因に対して影響を与えることを気づいた。

バンド・エイド結成

1984年11月、エチオピアの飢饉を伝える報道を観たゲドルフは、イギリスのロックバンド・ウルトラヴォックスミッジ・ユーロと共にエチオピア飢餓救済のチャリティーソング「Do They Know It’s Christmas?」をリリース。

筆者も大好きな曲で、当時何度も繰り返し聴いていた記憶があります。

当時のイギリス・チャート史上最高の売り上げとなった同曲は、後に続く「We Are The World」などのようなチャリティームーブメントの先駆けとなり、世界中に衝撃を与えた作品となりました。

ちなみにゲドルフ「We Are The World」のレコーディングにも参加し、コーラスとして歌っています。

そして、彼はアフリカ飢餓救済基金を行うために主要なイギリスとアイルランドのロック、ポップスを中心としたトップ・ミュージシャンからなるバンド・エイドを結成しました。

バンド・エイドの活動はメンバーを変え、89年に2回目、2004年に「バンド・エイド 20」、2014年にはエボラ出血熱救済のため「バンド・エイド 30」が結成されるなど、まだまだ現役のイベントなのである。

ライヴエイド主催

このバンド・エイドの大きな成功のもと、ゲルドフは1985年6月にアフリカ難民救済を目的として、前例のない大規模なチャリティ・コンサート、ライヴエイドを計画します。

このコンサートはアフリカ難民救済のために1億2700万ドルを集めました。

この功績が認められて、ゲルドフはイギリスの女王・エリザベス2世から栄誉あるナイト爵位を含む数々の賞を受賞。

イギリス市民でないため、本来は使えない称号「サー」を使ったニックネーム「サー・ボブ・ゲルドフ」が定着するほどでした。

また、2005年にはアフリカで貧困やエイズのために戦う献身が評価され、2006年のノーベル平和賞候補者にノミネートされたのは驚くべきことです。

私生活

ゲルドフはイギリスのテレビ司会者のポーラ・イェーツと1986年に結婚。

結婚以前の1983年に生まれたフィフィの他、ピーチーズとピクシーの2人の娘も儲けるが、1996年に離婚。

3人の娘はゲルドフによって育てられた。

大成功をおさめたライヴエイドは、皮肉にも私生活全体に影響を及ぼし、最終的に結婚まで犠牲にしたと本人が語っている。

ライヴエイドのイベント詳細や出演者についても

映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスといえばライヴエイド

ボブ・ゲルドフの呼びかけに賛同した、多くのミュージシャンが、国とジャンルを越えて参加した一大イベントの詳細を解説します。

ライヴエイドの開催日・時間・場所

<開催日>

1985年7月13日(現地)

<開催時間>

計12時間に及ぶ。

日本での放送は、同年、同日夕刻から7月14日午前中まで。

<メイン会場>

  • イギリス:ロンドン郊外ウェンブリー・スタジアム
  • アメリカ合衆国:フィラデルフィア、JFKスタジアム

日本でも協賛する形で、解説とは別に、独自にテレビでのミュージシャン出演が設定され、3元中継となる。

計84か国に衛星同時生中継。録画放映分を含めて、140~150か国ともいわれている。

ウェンブリー・スタジアムの出演者(順不同)

  • コールドストリームガーズ 軍楽隊
  • ステイタス・クォー
  • ザ・スタイル・カウンシル
  • ブームタウン・ラッツ
  • アダム・アント
  • ウルトラヴォックス
  • スパンダー・バレエ
  • エルヴィス・コステロ
  • ニック・カーショウ
  • シャーデー
  • スティング
  • フィル・コリンズ
  • ハワード・ジョーンズ
  • ブライアン・フェリー
  • デヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)
  • ポール・ヤング
  • アリソン・モイエ
  • U2
  • ダイアー・ストレイツ
  • クイーン
  • デヴィッド・ボウイ
  • ザ・フー
  • エルトン・ジョン
  • キキ・ディー
  • ワム!
  • フレディ・マーキュリー&ブライアン・メイ
  • ポール・マッカートニー
  • バンド・エイド

圧巻は、全出演陣の中でも最多となる6曲を披露したクイーン。

解散寸前状態のクイーンが再浮上する転機となったそのライヴ・パフォーマンスは他を圧倒し、ボブ・ゲルドフも彼らを絶賛!

このステージの模様は映画「ボヘミアン・ラプソディ」にて細部に至るまで忠実に再現されました。

アーティスト個々の出演としては、イギリスでのトリを務めたポール・マッカートニーは、「レット・イット・ビー」をピアノの弾き語りで披露。

曲の中盤からボブ・ゲルドフ、アリソン・モイエ、デヴィッド・ボウイザ・フーのギタリスト・ピート・タウンゼントがコーラスで参加しました。

バンド・エイド では、「Do They Know It’s Christmas?」を出演者全員で熱唱。

主催者のボブ・ゲルドフジョージ・マイケルがメイン・ボーカルを担当しました。

また、フィル・コリンズは、ロンドンの会場に出演した後、超音速旅客機のコンコルドで移動し、フィラデルフィアの会場にも出演しました。

JFKスタジアムの出演者(順不同)

司会を努めたのは、ジャック・ニコルソンとベット・ミドラー 。

  • ジョーン・バエズ
  • フォー・トップス
  • ビリー・オーシャン
  • ブラック・サバスfeaturingオジー・オズボーン
  • RUN D.M.C.
  • リック・スプリングフィールド
  • REOスピードワゴン
  • クロスビー、スティルス&ナッシュ
  • ジューダス・プリースト
  • ブライアン・アダムス
  • ビーチ・ボーイズ
  • ジョージ・ソログッド&ザ・デストロイヤーズ
  • アルバート・コリンズ
  • シンプル・マインズ
  • プリテンダーズ
  • サンタナ
  • パット・メセニー
  • アシュフォート&シンプソン
  • テディ・ペンダーグラス
  • マドンナ
  • トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ
  • ケニー・ロギンス
  • カーズ
  • ニール・ヤング
  • パワー・ステーション
  • トンプソン・ツインズ
  • スティーヴ・スティーヴンス
  • ナイル・ロジャース(シック)
  • エリック・クラプトン
  • フィル・コリンズ
  • レッド・ツェッペリン
  • デュラン・デュラン
  • パティ・ラベル
  • ダリル・ホール&ジョン・オーツ
  • エディ・ケンドリックス(元テンプテーションズ)
  • デヴィッド・ラフィン(元テンプテーションズ)
  • ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)
  • ティナ・ターナー
  • ボブ・ディラン
  • キース・リチャーズ(ローリング・ストーンズ)
  • ロン・ウッド(ローリング・ストーンズ)
  • ライオネル・リッチー(元コモドアーズ)
  • ディオンヌ・ワーウィック
  • ハリー・ベラフォンテ
  • シーナ・イーストン
  • ピーター・ポール&マリー
  • シェール
  • ビル・グラハム
  • クリッシー・ハインド

ロンドンの会場に出演した後、超音速旅客機のコンコルドで移動し、フィラデルフィアの会場にも出演たフィル・コリンズは、エリック・クラプトンのドラムとして参加。

その後、自身のパフォーマンス中にロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズをステージへ呼び込み、「ロックン・ロール」、「胸いっぱいの愛を」、「天国への階段」を演奏しました。

この奇跡のコラボレーションは、フィル自身がレッド・ツェッペリンと共演したいがために、このライヴエイドを利用したという話もあります。

フィナーレの「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、ハリー・ベラフォンテのパートまでは和やかだったが、シーナ・イーストンのパートでジョーン・バエズが割り込んできたことをきっかけに見苦しいマイクの争奪戦となりました。

まとめ

  • 映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックス・ライヴエイドの主催者はボブ・ゲドルフ
  • ボブ・ゲドルフは、ブームタウン・ラッツのリーダー
  • ボブ・ゲドルフは、慈善事業に力を注ぎ、ノーベル平和賞候補者にノミネートされたこともある
  • ライヴエイドは大成功を収めたが私生活を犠牲にした。
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この記事を書いた人

漫画とワインが大好物。お気に入りの作品について書き綴っています。

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