こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話の映画と原作の違いを比較!相違点を解説

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渡辺一史原作『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』が大泉洋主演で映画化されました。

この映画は、筋ジストロフィーという難病を患った鹿野靖明とボランティアの物語です。

この記事では、映画と原作はどこが違うのか?について解説しています。

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目次

「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」映画と原作の違い

まず大前提として、全国300館でロードショー公開する映画のため、どうしてもエンターテイメント色が必要になり、原作にはないラブストーリーが入っていたりします。

鹿野の母が健在で、原作者サイド(原作者、鹿野の母、ボランティア)と、映画制作者サイドの間で、一時は決裂するかもしれないというくらいシナリオの初稿から最終稿に至るまで、もめにもめたそうです。

筆者は、映画を観た後に原作本を読んだのですが、はっきりいって別物です。

つまりこの映画は、エンターテイメント作品であって、ドキュメンタリー作品ではないということです。

ただ、エンターテイメントを軸にしながらも、原作者が伝えたかった障害者運動の根幹のような物は、なんとか表現できているのではないかと思います。

そういった前提のもとに映画と実話の大きな違いを紹介します。

「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルのエピソード

映画
映画では、鹿野のボランティアをしている彼氏(三浦春馬演じる田中久)が浮気していないか様子を見にきた安藤美咲(高畑充希)が、田中と夜の当番を一緒にする羽目になる。

すると鹿野は美咲と二人になりたかったのか、田中に「バナナ食べたい。買ってきて」と命じる。美咲は鹿野と二人だけになりたくない一新で、深夜2時にバナナを買いに行きます。

しかし深夜2時と言うことで、なかなかバナナが手に入らず夜の街を走り回ります。

ようやく見つけて帰宅した美咲は、オセロ台の上にバナナを叩きつけます。

鹿野の「なんかグッときた〜」と言うセリフで映画タイトルにつながります。

場所は道営ケア付き住宅です。

原作
学生ボランティア国吉智宏が、夜中に鹿野の振るすずの音で起こされ、「腹減ったからバナナを食う」と言われ、「こんな真夜中にバナナかよ」と内心酷く腹を立てながらも、無言で鹿野の口に押し込む。

食べるのが遅い鹿野がようやく食べ終わりそうになり、もういいだろう。寝かせてくれ。

という態度を全身にみなぎらせて、ベッドにもぐり込もうとしたら、

「国ちゃん、もう1本」と言われたことによる。

なにぃー!と驚きつつ、怒りが急速に冷えていき、もう、この人の言うことは、なんでも聞いてやろうと思ったそうです。

場所は北海道勤医協病院の病室です。

 

このエピソードは、鹿野さんとボランティアの関係性、介護を受けること、ボランティアの意識、我儘と必要性の違いといった作品テーマの根幹に繋がるエピソードのはずなんですが、映画では単なる我儘としか受け取れない演出になっています。

ボランティアの設定

大泉洋が演じたこの物語の中心である鹿野靖明は実在しますが、ボランティア役の高畑充希さん(役名・安藤美咲)と三浦春馬さん(役名・田中九)は原作には存在しない架空のボランティアです。

この二人は、原作に出てくる何人かのボランティアのエピソードを凝縮させた役割設定になっています。

田中と美咲が付き合っている設定の中に、鹿野靖明という障害者でありながら恋多き男が絡む三角関係を描いたストーリーになっています。

原作を読んだものとしては、映画とは全く別物と言わざるを得ない点です。

この映像の後半に鹿野が美咲に告白するシーンがあります。

 

鹿野と両親の関わり

映画
鹿野は母がボランティアに差し入れを持ってくると「いいから帰れよクソババァ」「二度と来んじゃねえぞ」と悪態をつきすぐに帰らせてしまう。

その後、美咲と鹿野母が二人で歩くシーンで、悪いのは障害者に産んだ私なんだと自分を責めて、本当は優しい子なんだと鹿野母が美咲に話す。

と言うシーンに留まっていて、母親や父親(映画では鹿野が病院に運ばれるシーンでしか登場しない)との関わりが希薄にみえる。

原作
実際は、ボランティアの体制が整うまでは、母親が頻繁に通っていた。

また、体制が整った後も少なくとも週に2〜3回は通って、特にボランティアの食事の面倒をよくみた。

父の清もボランティアを車で送ったりしていた。

 

実は、鹿野には妹がいて、妹もまた障害者だった。

そのため、自分にはボランティアがいるから、母親には妹のところへ行ってあげて欲しいという思いで、鹿野は敢えて母親に悪態をついていたと言うのが真実。

残念だったラストシーン

映画では、鹿野が田中と美咲にお礼を言っていると、朝日が3人を照らす。

そこで、鹿野が「すごいな〜なんだか俺どんどん元気になってきたよ。今なら走れるんじゃないか」と笑顔で話すんです。

直後に画面が切り替り「7年後」のテロップ。そして鹿野の遺影の前の両親と言う演出になってます。

まあ、このシーンが悪いと言うことではないんですが、

原作では、鹿野が亡くなる場面はとてもドラマティックなんです。

実は、鹿野を看取ったのは、家族でも家族同様のボランティアでもなく、有料介助者だったんですが、

その理由がめちゃくちゃ深いんですよ。

家族や(家族同様の)ボランティアに責任を感じさせない配慮だったんですね。

また、葬式(キリスト教式)の前夜祈祷会に300名、葬儀式に170名の新旧ボランティア含めた関係者が参列するんです。

それだけの人が葬式に集まるってすごいことじゃないでしょうか。

筆者は、原作のこの最後のくだりを読みながらが涙ぐみました。

鹿野の人間性を語るのにとても重要な部分だと思うんですよね。

個人的に映画のラストは物足りないと言う印象です。

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まとめ

  • この映画は原作とはかなりの部分異なる
  • 映画に出てくるボランティアは、原作では実在しない人がほとんど
  • 映画のラストシーンの演出は少々物足りない
  • 原作を読まないとこの物語の本質は理解できない

冒頭に書きましたが、

筆者は、まず映画を観てから原作を読んだため、軽い気持ちで読み始めました。

ところが、原作は全く別物で完全なドキュメンタリーです。

内容もかなり深いです。

ぜひ原作を読むことをおすすめします。

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

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この記事を書いた人

漫画とワインが大好物。お気に入りの作品について書き綴っています。

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