泣き虫しょったんの奇跡は実話でモデルが実在する?瀬川晶司の経歴と現在を解説

藤井聡太七段が8大タイトルの「棋聖」「王位」を獲得し、

タイトル獲得最年少記録更新!最年少2冠と最年少八段昇格も果たしました。

藤井聡太七段は、17歳11カ月でタイトルを獲得したわけですが、

将棋界って、小学生でも強ければプロになれる一方
26歳までに四段に昇格しないとプロ棋士にはなれない厳しい世界なんです。

そんな完全実力主義の厳しい将棋の世界を描いた実話「泣き虫しょったんの奇跡」

この記事では、モデルとなった瀬川晶司さんの経歴と現在の状況について解説します。

​​「泣き虫しょったんの奇跡」は実話でモデルが実在する?​​

​モデルはプロ棋士瀬川昌司​

​​​​「泣き虫しょったんの奇跡」のモデルは現在もプロ棋士として活躍する瀬川昌司さんです。

1970年生まれ、37歳。神奈川県出身。プロ棋士(フリークラス)

小学5年生で将棋に熱中し、小学6年生でプロ棋士を志します。中学2年で全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝。

安恵照剛七段門下に入り、日本将棋連盟のプロ棋士育成機関・新進棋士奨励会試験に合格。

プロ棋士の道へ踏み出しますが、26歳までに四段に上がれず、奨励会を強制退会になります。​

以降はプロ棋士の夢はあきらめ、神奈川大学法学部(二部)入学、ワイイーシーソリューションズ(NEC関連会社)へ入社。

将棋はアマチュアとして続け、2つの日本一のタイトルを奪取。対プロの勝率も驚異的な数字を記録。

最強のサラリーマン棋士としてその名を将棋界に轟かせました。

2004年、周囲のすすめもあり、再びプロ入りを決意。元棋士仲間、マスコミ関係者が一丸となって瀬川氏のプロ入りをバックアップ。

2005年、世論と将棋連盟を動かし、不可能と思われていたプロ入り編入試験を実現。

6番勝負で3勝を挙げ、61年ぶり、戦後初の奨励会を通過していないプロ棋士となりました。

​映画「泣き虫しょったんの奇跡 」の原作は自伝​

​映画「泣き虫しょったんの奇跡」の原作は、2006年に講談社から発刊された瀬川さん本人の著書「泣き虫しょったんの奇跡」です。​

個人名や固有名詞などの細かい違いはありますが、映画はかなり原作に忠実に表現されています。

さすが元奨励会員の豊田利晃監督が描いただけのことはあり、重要なポイントにうまくフォーカスして、無駄なシーンがあまりありません。

撮影前から瀬川五段本人の協力を仰ぎ入念な将棋指導を施して 臨んだ対局シーンをはじめ、自身も身を置いていた世界を描くからこそ の徹底した演出で迫力ある盤上の戦いをスクリーンにおさめています。

瀬川さんが偉業を成し遂げた時と同じ35歳になった主演の松田龍平さんも、「自分が本当にやりたいことに対して、どれだけ魂を注いでいるのかという晶司の気持ちに投影する部分が多かった」と話しています。

原作の臨場感そのままに、映像のメリットを最大限に生かした作品と言えると思います。

​​​「泣き虫しょったんの奇跡」のテーマになった奨励会と年齢制限について解説​​​

瀬川さんの偉業を理解するために知っておくべきキーワード『泣き虫しょったんの奇跡』のテーマでもある奨励会年齢制限について解説します。

​奨励会​

新進棋士奨励会。昭和3年に創立された日本将棋連盟のプロ棋士育成機関で、三段から六級までで構成されている。

二段までは東西に分かれて行い、規定の成績を上げると昇級・昇段となる。

三段になると東西を合わせてのリーグ戦を半年単位で行い、上位二名が四段に昇段し、正式にプロ棋士となる。

23歳の誕生日までに初段、26歳までに四段になれなかったら自動的に退会となり、以降プロへの道は完全に閉ざされてしまう。

ただし、四段になるためのリーグ戦で勝ち越せば、次回のリーグに参加することができる。

以下、同じ条件で在籍を延長できるが、満29歳のリーグ終了時で四段になれなかったら退会となる。

奨励会からプロに上がれるのはわずか2割程度。

年齢制限​

以前は年齢制限がなく、40歳を過ぎても奨励会に在籍できた時代があった。

しかしプロ棋士への情熱を失ってしまいただ在籍しているだけの中高年が出てくるようになった。

当然そうなると将棋を辞めた後の社会復帰が困難になるので、もっと早いうちから見切りをつけさせようという将棋連盟の親心から年齢制限が設けられた。

​瀬川昌司の偉業達成までの道のりと現在​​

​奨励会時代​

1983年 奨励会試験に落ちる
1984年 全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝し、安恵照剛門下で奨励会に入る(6級)
1992年 三段リーグ入り
1996年 年齢制限(26歳)で退会

 

奨励会退会後​

1997年  神奈川大学法学部(二部)入学。司法試験を目指す
1999年 全日本アマチュア名人戦優勝。アマ名人になる
1999年 全国アマチュア王将位大会で準アマ王将になり、出場した銀河戦本戦でプロ相手に7連勝し、決勝トーナメント進出
2001年 ワイイーシーソリューションズ(NEC関連会社)入社
2002年 全国アマチュア王将位大会でアマチュア王将になり、銀河戦本戦で決勝トーナメント進出しベスト8
2003年 全国アマチュア王将位大会で準アマ王将になり、決勝トーナメント進出
2004年 朝日アマ名人戦でベスト8
2005年 プロ相手に17勝6敗、勝率0.739という実績を引っ提げ、プロ編入嘆願書を日本将棋連盟に提出

 

​プロ編入試験​

編入試験対戦相手と結果 ※3勝すれば合格

対戦相手 勝敗
佐藤天彦三段
神吉宏充六段
久保利明八段
中井広恵女流六段
高野秀行五段
長岡裕也四段 −

 

​プロ入後​

2006年 NECと所属契約を結び史上初の企業所属棋士となる
2009年 C級2組へ昇級
2012年 五段昇級
2018年 六段昇級
2020年 50歳になった現在C級2組に在籍し、今年度成績7勝6敗

 

​​実は瀬川昌司以外にもあった例外者​​

瀬川昌司さんの成し遂げた偉業について解説してきましたが、実は瀬川さんにより以前にひとりだけ奨励会を通過せずにプロになった棋士がいます。

花村元司氏という棋士で、昭和19年に座興で一流棋士と互角に指したことでプロ入りを薦められ、試験将棋を通過。五段と認定されプロ入りしました。

しかしこれ以降60年もの長きにわたってひとりの例外者もなく、奨励会制度は厳格に守られています。

まとめ​​


・映画「泣き虫しょったんの奇跡」の原作は、モデルである瀬川昌司本人の著書(自伝)である
・映画「泣き虫しょったんの奇跡」の演出は、原作を超える素晴らしさである
・瀬川昌司は戦後初の奨励会を通過していないプロ棋士である
※戦前に1度だけ例外があった
・瀬川昌司は50歳の現在も現役のプロ棋士である
・瀬川昌司を演じた松田龍平は、瀬川さんがプロ入りした時と同じ35歳だが、カッコ良すぎてイメージが合わない

瀬川さんは、50歳の現在もフリークラスのプロ棋士として活躍中。

また、執筆、講演、各種将棋イベントへの参加など、将棋の普及にも尽力しているようです。

こうやって見てみると、将棋の世界って本当に狭き門なんですね。

藤井聡太七段が成し遂げたことが、いかにすごい偉業なのか実感しました。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です